〜団塊世代と地域を結ぶ、入間団塊なび〜
 
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みんな入間人
団塊世代だけでなく、若い世代だって、逆に団塊世代より上の世代だって、まだまだ熱い人は沢山います。そんな熱い人たちにスポットを当てて、元気な入間人をご紹介していきます。

第3回ゲスト:中山 節夫さん 
入間歴:41年  

在住地区:上藤沢地区  

 
第3回目のゲストは、上藤沢の「中山 節夫」さんです
熊本生まれ、大学から東京に暮らし、入間に来たのは約41年前。常に「差別」という社会の大問題を取り上げている、。
 


 

 この映画についてお聞かせ下さい。

 1969年にデビュー作「あつい壁」を作り、ハンセン病に対する根強い差別を扱いました。今回の映画はあれから40年経過しもう一度ハンセン病をテーマにした作品です。今までに28作の映画を撮ってきました。「人権の問題は、人間の問題」だと思っています。この映画では、「あなたは差別していませんか?」と問いかけています。
少し難しいと感じるかもしれないが、子供達にもこの映画を見て何かを感じてもらいたいですね。最近の世の中は経済ばかりで、文化の部分が欠落しいているように思う。
この映画は完成して約1年。あと2年ぐらいは各地で上映していきたいと考えています。
(入間市では10月4日〜10月10日までユナイッテドシネマで公開)


 入間に引っ越したきっかけ何でしたか

 安かったからです(笑)。たまたま不動産屋さんに紹介されて上藤沢にきて家を買いました。特に親戚や知人がいたわけではなく、偶然ここを案内されてそのまま暮らし始めたのです。今はいいところに住めたと思っています。


 小さい頃はどんな子供でした

 2歳の時に父親を戦死でなくして、教師をしていた母親に育てられました。
学校から家に帰ると、昔の家は真っ暗だった。その真っ暗中で独りでいることが多く、その時の孤独感が空想することを強くしたかもしれない。
子どもなのに新聞を細かく読んだりして、ませた子供でもあった。またイソップ物語は本がボロボロになるまで読んだ記憶があります。高校時代に映画ばかり見ている子どもだった。


 どうして映画監督になろうと思われたのですか

 
小さい頃近所のハンセン病の療養所を見学して、医者が官女を差別しているのを診てショックを受けました。その時、将来医者になって患者を救おうと思ったのです。しかし医学部の試験に落ちて、工学部に入いりました。だけど数学など苦手だったので、講義が全くわからなかった(笑)。それで多摩美術大学の彫刻に転籍しました。卒業後、ある映画監督に弟子入りして日活に就職しました。

 333なぜ差別をライフワークにしているのでしょうか?

 自分でもよく解らない?
小さいときから、何かにひがみがあったような気がする。
差別の根底には貧困が有ります。
よく「同じテーマを永年やって偉いね」と言われるが、続けるこつは「あまりストイックにならないこと」だと思っている。人間なんてそんなに立派じゃないから、深刻にならないことです。


 入間についてひと言

 最初の10年は埼玉都民だったが(笑)、その後いろいろな人とのつながりができた。
いいところに来たと思う。昔は不便だったけど、最近は便利になって、いいまちだと思う。最初はよそ者でも、はやく入間になじんでもらいたい。


 今後の映画制作の予定をお聞かせ下さい。

 阿蘇の山の中で戦争中の絵を描き続けている人がいます。学徒出陣よりも若くして戦場にかり出され、非業の死を遂げた若者がたくさんいて、そのことを書き続けている人です。
あと、戦争中北海道のダム建設に強制連行され死亡した朝鮮人の遺骨収集している若者を取り上げ たい。この活動で6組もの若者が結婚していて、戦争の悲劇を若者が地道な活動で振り返っています。
こんなテーマをカメラマンなどと話し合っているところです。



 今日はお忙しい中、本当にありがとうございました。
   今後のご活躍を期待しています。


 次回も、入間の素敵な方をご紹介致します。


 

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